先日、山梨県にある硯工房、甲斐雨端硯本家 雨宮弥兵衛にお邪魔しました。
雨畑硯は初代雨官孫右衛門が元禄三年(1690年)身延山参詣の途次、富士川支流、早川川原にて黒一色の流石を拾い、これを硯に制作したことにはじまります。
永年研鑽を重ねた後、天明四年(1784年)四代要蔵が、将軍一橋公に作成した硯を献じてからその名が広く知られることとなりました。作硯は山が禁制であったため、永く欠け落ちた流石にて制作されていたのですが、八代弥兵衛・鈍斎は、安政六年(1859年)幕命をうけて採掘、風字硯を作成してこれを将軍家茂公に献上。これにより、御留山の採掘権を得ることとなったのです。
以来、作硯の妙味を追求し、八代鈍斎の頃、時の元老員議員であった東京大学教授中村正直に、その技術と品質を高く評価され、「天機硯ハ、我邦ノ端州硯也。」として、「雨端硯」と号すことを賜りました。以来、弥兵衛家で制作された硯は、「雨端硯」の名で知られることとなります。
硯による表現は精神のありのままの姿を映しだすため、独特の深みをもっています。その中で、硯は、墨を磨ると言う用途を越えて、墨を磨る行為のうちに、心を鎮め、自然の悠久のリズムに心を開いてゆくための「精神の器」として重要な役割を担っています。そのために、時代に応じた様々な意匠の現が作られ、文房四宝の中でも特に多くの文人達によって愛重されてきました。
「こころ」は「かたち」によりそうと言われます。各時代の硯の造形は、文人達の理想の世界像を映す、想像力の”かがみ”だったのではないでしょうか。
時間をかけて、墨を硯で擦る。この行為がただ書くための行為ではなく、紙を一枚目の目の前にした時どれだけの気を入れて書けるかの準備だと思っています。
自然への感謝を持って、心を使い、一枚分だけの墨を擦って、筆をとってみてはいかがでしょうか。